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控えめなシンコペーションと哀愁を帯びたブルーノート

W・C・ハンディという教育のある黒人起業家が、南部の街角でブルースメンに出会って、幼い頃、家やコミュラアイで耳にしていたしらべが立派に音楽的表現として現れてきたことに心を動かされ、その要素を採り入れたポピュラーソングを書いて、それらに「メンフィス・ブルース」とかの名をつけてその楽譜を売り出したのです(レコード以前の時代、ポピュラー音楽のセールス媒体は楽譜でした)。1914年には(セントルイス・ブルース)が大ヒット。

[参考サイト]
東方神起 着うたフル(R)&着うた(R)無料検索
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桑田佳祐 着うたフル(R)&着うた(R)無料検索
http://pc.dwango.jp/index.php/m/portal/a/artist/artist_id/848

TEE 着うたフル(R)&着うた(R)無料検索
http://pc.dwango.jp/index.php/m/portal/a/artist/artist_id/38243

ハンディは富と名声を手にすることになります。控えめなシンコペーションと哀愁を帯びたブルーノートに、当時の白人中流家庭のピアノの周りは、江戸の町人が都節に感じたのとそうは違わない、洗練の味わいを感じたことでしょう。まもなくジャズの流行の中でマー・レイニーやベシー・スミスなどの黒人女性シンガーが登場してブルースを披露するという展開になっていきます。(ピアノや楽団のバックつきのこのブルースを、フォーク・ブルースと区別してクラシック・ブルースまたはシティ・ブルースと呼びます。このブルースを白人化したブルージーなジャズ・ボーカルをさらに淡谷のり子らが日本流に歌い、日本ではいつのまにか、ブルースというとダンスホールのステップを意味していました。)